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- 安全・安心のための毒性学
-
【2008/12/30(火)】
[雑談]
今年は中国の毒餃子問題にはじまり、汚染米の流通、メラミンの混入事件、ついでにバナナダイエット騒動などなど、食と健康に関する話題に尽きぬ年でした。食品の安全性や健康にたいする関心の高まりは基本的に歓迎すべき傾向だと思いますが、その一方で『ちょっと過剰反応ではないの?』『それは安全(あるいは危険)とは言えないんじゃないの?』と首をかしげる出来事も増えてきたように思います。
本来、『安全』というものは誰かが無償で提供してくれるものではなく、自分自身も含めた多くの努力によって確保されるものであり、最終的には本人の意思でもって判断すべき類のものです。
それが思うに、『安全・安心』という言葉が日常にあふれるあまり、『安全とはどういうことか』、『なにを持って安心とするか』という根本的なことを自分自身で深く考えることなく、雑多な情報の波に『なんだか不安』、『よく分らないけど○○は危険なんだ』と、ただただ感情のまま流されている事が多いのではないかと思います。
もっとも、『安心』というのは感覚的なものですから個々人によって程度が変わってくるのは当然なのですが、こと食に対する『安全』ということであるなら、感情によらず論理的に評価できるものが多いのです。
食に関する危険は窒息などの物理的な症状を除き『毒』という生化学的なものになります。一般の方が毒に対して関心を持つ事はあまり無いとは思いますが、「毒性」についての知識が多少なりともあれば安全性についての情報を自分で再評価できますので、徒に不安を掻き立てられることもなくより質の高い安心を得る事ができます。
まあ「敵を知り己を知れば・・・」ってやつですかね。
ということで、本来の『毒性学(toxicology)』とはかけ離れますが、用語解説をメインとして『安全・安心のための毒性学』を私なりに述べて見たいと思います。
(序1):0(ゼロ)リスク、リスクのトレード、リスクコントロール
例えば、英語しか分らない者と日本語しか分らない者との間では、通常、議論はおろか雑談でさえ成り立たないように、明確に意思の疎通をはかるには何かしら共通の認識が必要になります。その最たるものは言葉ですが、特定の事柄については基礎知識や暗黙の了解などがそれにあたります。同様に安全に関する事であれば大前提となるのが、「リスクは0にはできない」という認識です。
『安全』か『危険』かといったことはそのまま「リスクを評価する」ということになります。もちろん、リスクが低ければ低いほど安全なのですが、0にすることは出来ません。「常にリスクは存在する」という認識がなければ、安全というものを理性的に評価する事は出来ないのです。
くどいようですが、まず『100%の安全』つまり「『0リスク』は有り得ない」、と言う事実を十分に理解する必要があります。
人が生きている限り必ずリスクは付きまといます。というよりも、生きている事はリスクそのものだとも言えます。私達にとっての究極のリスクが死ぬことであるならば、遅かれ早かれ死から逃れる術はありません。皮肉(?)な言い方をすれば、「死んでいる事が唯一『絶対の安全』である」と言えなくもありません。
リスクというのは0にはできませんから、あるリスクを回避しようとすれば、直接的であるか間接的であるかを問わず、多かれ少なかれ別のリスクとトレードすることになります。
今あるリスク、今後起こりうるリスク、トレードするリスク、そうした諸々のリスクを考察し、「ある程度納得できるレベルのリスクを許容し、より大きなリスクを回避する」つまり「ある程度納得できるレベルで安全を確保する」事がリスクコントロールになります。
リスクのトレードとリスクコントロールをもう少し分かりやすい例で例えると、
- ある食品に毒性のある物質が含まれていることが分った。
- その食品をやめて別の食品を食べる事にした(リスクのトレード)
- その食品にも毒性のある物質が含まれている事が分ったので、更に別の食品を食べる事にした(リスクのトレード)
- ・・・中略・・・
- もしかしたら別の食品にも別の毒物が入っているかも知れないので安心できない。安全と思っていたものでも後に害があることが分る事もあるし、そうでなくても摂りすぎれば危険である。結局100%安全な食べ物は存在しない。
- どんなささやかなリスクでも受け入れるのは嫌なので、何も食べない事にした(リスクのトレード)
- 何も食べなくては死んでしまう。
- 餓死するよりは多少のリスクを受け入れ、ある程度安全と思われる食品を満遍なく食べる事によりリスクを分散することにした(リスクコントロール)
ということになります。かなり恣意的ですが(^-^;
こうして改めて言わなくても誰もが日常的に様々なリスクコントロールを行ってはいるのですが、時に微々たるリスクに対しても過剰に反応し、度を越えた安全を要求しようとする人も見受けられるように思います。
食に限らずこの世には100%の安全はありえない事、ある程度のリスクは看過せざるを得ない事、この辺りを理解していれば不要な不安を抱かずに済むはずです。
(序2):安全のレベル
『なにをもって安心とするか』は個々人の感情に委ねられるものですから基準を設定することができませんが、『どのくらい安全か』というのは『危険性がどの程度あるか』と置き換えることで数値化できます。通常は統計的手法を用いて、「(1年間で)○○万人に○人」というように確率(割合)で表します。
この割合が低くなればなるほど安全とみなせます。
どの程度までなら安全とみなせるかは対象となるリスクによって変わってきますが、一説によると『10-5のオーダー(1年で10万人に1人が死亡するリスク)は社会的に許容される』とのことですので、「10万人に1人」が一つの目安になると思います。
※ここでもし、「1年で10万人に1人といえど結局人が死ぬんだから、(たとえ100万人に1人であっても)安全とは言えないんじゃないの?」と疑問に思うようでしたら、今一度『序1』をお読みになってください。
参考までに統計局のデータから2007年の死因別死亡者数を人口10万人に対する割合で表示したものが下記表になります。
2007年死因別死亡率 死因 死亡率(10万人対) 悪性新生物 266.9人 心疾患 139.2人 脳血管疾患 100.8人 肺炎 87.4人 不慮の事故 30.1人 自殺 24.4人 老衰 24.4人 腎不全 17.2人 肝疾患 12.8人 慢性閉塞性肺疾患 11.8人 ***** ※交通事故 4.7人 (※は2007年の日本の人口を1億2700万人として、統計データを元に私が計算)
悪性新生物とは癌とほぼ同義ですが、死亡率が際立っていますね。自殺のリスクが高いのは残念です。
上記のデータは統計を元にした実測値ですから、毒性試験等のデータから求められた理論値とそのまま比較するのはちょっと乱暴ですが、1年間で10万人に1人が死亡する確率というのは交通事故死よりもひくく、安全に対する指標として一応の目安になると思います。
毒と薬
毒と薬、対立する印象のあるものですが、化学的には両者に明確な違いはありません。どちらも生物に対して何らかの生理活性を与えるもので、その作用の強さが益になるときは薬、不利益となる場合は毒となります。
同じ化学物質が毒にも薬にもなる場合、それは量の違いによるものです。後述する地上最強の毒物といわれるボツリヌストキシンも、極少量であれば、神経伝達物質のアセチルコリンの放出を抑制する作用を利用し、表情筋の動きを抑制して皺をとりのぞいたり、過度の筋肉の緊張を取り除く筋肉弛緩剤として用いられる事もあります。
『毒も薬もさじ加減』ということですが、これは環境問題などにも当て嵌まり、全ては量の問題に帰結します。
無効量、効果量、無毒性量、用量反応曲線
極めて強い毒性を持つ化学物質でも量が少なければ生体に対して毒性を発揮することはありません。このように、毒物が毒性を発揮しない量を無効量、発揮する量を効果量と言います。
動物実験等によって毒性を発揮しなかった上限の量を『無毒性量(NOAEL)』と言い、無効量と効果量との閾値にあたります。
無毒性量は対象となる動物(ラット、マウス、ウサギ、イヌなど)や対象となる毒性試験(急性毒性試験、亜急性毒性試験、慢性毒性試験など)によりそれぞれの値が存在します。ヒトについては毒性試験を行うわけにはいかないため、事故等で得られたものを除き無毒性量のデータはありません。
毒性試験を行う際は、対象となる動物の死亡、特定酵素の阻害、化学物質の受容体への結合など、毒性を評価するのに有効な終点(end point)を設定し、投与量とend pointの数の変化を調べます。投与量を横軸、反応(end pointの割合)を縦軸にグラフ化したのが下図のような用量反応曲線となります。
用量の単位はmg/kgやmolといったもので、通常は対数表記(......、0.001、0.01、0.1)になります
上記グラフにおいて、無毒性量(NOAEL)以下が無効量、無毒性量を超えた量が効果量となります。
通常の毒性試験においては上記のように無毒性量という閾値があり、これを『閾値ありの用量反応曲線』と呼びます。
mg、μg、ng、pg
毒性について話すときには極少量を問題にすることが多く、m(ミリ)、μ(マイクロ)、n(ナノ)、p(ピコ)といった単位を頻繁に使います。慣れないと分り難いと思いますが、順に1000分の1ずつ小さくなります。
1mg = 10-3g = 0.001g (1000分の1g)
1μg = 10-6g = 0.000001g (100万分の1g)
1ng = 10-9g = 0.000000001g (10億分の1g)
1pg = 10-12g = 0.000000000001g (1兆分の1g)
%、ppm、ppb
ニュースなどで、『農薬が○ppm(ピーピーエム)含まれていた』というような話を耳にしますが、ppmやppbは%と同じように分率を表す単位で、次のようになります。
%(パーセント) = 100分の1 = 0.01
‰(パーミル) = 1000分の1 = 0.001 (あまり使われない)
ppm(パーツ・パー・ミリオン) = 100万分の1 = 0.000001
ppb(パーツ・パー・ビリオン) = 10億分の1 = 0.000000001
分率ですから、例えば47ppmであれば、○○100g中、47×0.000001×100g=0.0047g、1kg中であれば0.047gとなります。『大気中1cm3あたり47ppm』であれば0.000047cm3が相当します。
『基準値を超える47000ppb含まれていた』という報道があった場合、いかにも大量に含まれていたかのような印象を受けますが、ppbをppmにすれば47ppmとなりますし、上記計算のように100gあたりで言えば0.0047gとなります。
LD50、ARfD、ADI、TDI
毒には強い毒、弱い毒がありますが、その目安として良くつかわれるのがLD50、許容値として使われるのがARfD、ADI、TDIです。
- LD50(Lethal Dose 50%) 「半数致死量」
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対象となる生物群において統計的手法によりその半数が死に至ると推定される量を通常体重1kgに換算して表示します。対象となる生物(ラット、マウス、ヒトなど)、投与の仕方(経口、皮下、静脈など)により値は変わってきますが、例えば人に対する食塩のLD50は3000〜4000mg/kg(経口)となっていますので、体重50kgの方であれば200gの食塩を一度に摂れば半数が死にいたることになります。
- ARfD(Accute Reference Dose) 「急性参照用量」
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24時間又はそれより短時間に経口摂取しても、健康に悪影響を生じないと推定される量を体重1kgに換算して表示します。
- ADI(Acceptable Daily Intake) 「一日許容摂取量」
TDI(Tolerable Daily Intake) 「耐容一日摂取量」 -
どちらも一日あたりこの量までなら一生涯毎日摂取しつづけても健康被害は起きないと推定される量を体重1kgに換算して「mg/kg/day」という形で表示しています。
ADIは食品添加物や農薬など、食品の生産、加工、保存において必要性の認められている化学物質に対して用いられ、TDIはダイオキシンや重金属などの通常意図しない汚染物質に対して用いられます。
同様のものでTWI(耐容週摂取量)、TMI(耐容月摂取量)があり、それぞれ1週間あたり、1ヶ月あたりの耐容摂取量を意味します。
上記はいずれの場合も値が小さいほど、より強い毒性があるということになります。
ARfD、ADI、およびTDIは許容値(耐容量)ですので、実際に症状が起きると予想される量よりも低い数値、つまり余裕をもって設定されています。通常は動物実験等により求められた無毒性量を動物と人の差、子供や妊婦なども含めた個人差を考慮した安全係数(一般的に100)で割った数値が使われます。
当然ながら、同じ物質におけるこれらの数値の大きさを比較すると、 「LD50 > ARfD > ADI, TDI」 となります。
なお、発がん性や変異原性を持つとされるダイオキシン類*1 など、将来の研究によって解決されるような不確定性がデータに残っていて、近い将来に重要なデータが追加できると分かっている汚染物質については、PTDI(暫定耐容一日摂取量)、PTWI、PTMIとしてより慎重な値(安全係数が500など)が使われることもあります。また、アフラトキシンなど現時点で耐容量が定めらていないものもあります。
※ダイオキシン類についてはPTDIを定めるべきではない、という意見もあるようです。
ADI、TDIは特定の化学物質に対しての許容値であり、食品、食材に対する規制値ではありません。私達は毎日多様な食べ物を摂取しますので、仮に一つの食材や食品に含まれている量でこれらの値に達してしまうようでは安心して食べる事ができません。
そこで、特定の化学物質に関してそれぞれ食品衛生法の基準値が存在します。これは食品の種類や化学物質によって程度は異なりますが、ADI等も考慮し、余裕を持った数値に設定されています。
同じ化学物質でも食品、食材によって基準値が変わってきますが、農薬に関しては特定の作物に対して使用が認めれれているものはリスクを考慮して残留値を定め、その作物に対して使用が認められていないものに関してはリスクを考慮せずに一律基準として厳しい値(0.01ppm)を適用させる事になっています。
* * * * *
2008年9月に発覚した三笠フーズによる汚染米事件では『米から基準値を超える農薬のメタミドホスが最大で0.05ppm(最終報告では0.06ppm)検出された』とありましたので、これを例に考えた場合、米に対するメタミドホスの使用は想定外であるため残留基準値は0.01ppmとなり、食品衛生法の基準に適合しないことになります。
※日本においてメタミドホスは農薬として登録されておらず、農薬取締法に基いて日本での使用は禁止されていますが、海外においては許可されているところもあります。
更にこの事実を知りながら食用米として流通させたとなるとこれは明らかな犯罪であり、流通させた会社の刑事責任が問われるのは当然ですし、監督(する立場にある各)省庁の責任について言及されても仕方ありません。
もっとも、責任の大部分は罪を犯した会社にあるので、監督省庁に多大な責任を要求するのは筋違いとなります。
さて、汚染米の流通が違法行為であった事は事実ですが、この汚染米を食べる事により健康被害が起こるかどうかはまた別の話になります。
メタミドホスのARfDは0.003mg/kg/day、ADIは0.0006mg/kg/dayとされていますので、
汚染米100gに含まれるメタミドホスの量は100g×0.05÷1000000=0.000005g=0.005mg
体重を50kgとした場合、ARfDは0.15mg/day、ADIは0.03mg/day
となりますから、1日に3.0kg(0.15÷0.005×100g)の汚染米を食べるか、毎日600g(0.03÷0.005×100g)の汚染米を一生涯食べ続けるかすればメタミドホスによる健康被害が起きる可能性があるということになります。
ARfDについては問題外の量ですし、ADIの600g(4合)というのも生米での重さであり、日本人の一日平均米消費量(約185g)の約3.2倍に当たります。一般的にそれだけの量を食べるのは考え難いことですし一生汚染米を食べ続けるわけでもありませんから、現実的にこの汚染米によるメタミドホスの健康被害は起きないと考えることができます。
また、ARfD、ADIなどの許容値は十分な余裕を持って設定されていますので、これらの値をちょっとでも超えればすぐさま健康被害が起きるわけではありません。なお、JMPR(FAO/WHO合同残留農薬専門家会議)によるメタミドホスのADIは「0.004mg/kg/day」となっており、日本の基準は6倍以上厳しいことになります。
(※ただし、米国の基準は「0.0003mg/kg/day」で、日本よりさらに厳しい)上記はメタミドホスに関するもので、この汚染米事件では農薬のアセタミプリド、カビ毒のアフラトキシンも基準値を上回る量が検出されています。アセタミプリドの毒性はメタミドホスよりも低く(1/30〜1/100)、検出された濃度(米に対するアセタミプリドの基準値の3倍にあたる0.03ppm)からメタミドホス同様以上にアセタミプリドによる健康被害は起こらないと考えられます。
問題なのは後述する強い発がん性をもつカビ毒のアフラトキシンになります。
急性毒性、慢性毒性
毒性には様々なものがありますが、急性毒性と慢性毒性に大別することができます。
- 急性毒性とは、化学物質に暴露して数日以内に発症する毒性をさします。一般的に毒性の強さをLD50を用いて表します。薬事法においては、経口急性毒性をLD50で表した場合、30mg/kg以下を毒物、300mg/kg以下を劇物としています。
経口急性毒性の内、農薬等の摂取によって健康被害が起きないと推定される量が前述のARfDとなります。 - 慢性毒性とは、化学物質に長期間暴露したとき数カ月〜数年以上経って発症する毒性をさします。発がん性や変異原性、催奇形性も慢性毒性の一つです。
同じ化学物質で急性毒性については無効量であっても長期暴露する事により慢性毒性を発揮するものもあります。通常はTDIやADIが慢性毒性の強さの目安となります。
- 発がん性は、国際ガン研究機関などの組織が動物実験等によって
・グループ1(ヒトに対して発がん性あり)
・グループ2A(ヒトに対して恐らく発がん性あり)
・グループ2B(ヒトに対して発がん性を示す可能性あり)
・グループ3(ヒトに対する発がん性については分類できない)
・グループ4(ヒトに対して発がん性なし)
というランク付けを行っています。 - 変異原性や催奇形性は、親に対する影響の有無とは関係なく、子供、孫など次世代への影響の有無を表します。 有名なものとしては非バルビツレート系催眠薬の一種であるサリドマイドがあります。
- 発がん性は、国際ガン研究機関などの組織が動物実験等によって
* * * * *
三笠フーズの汚染米事件で問題となったアフラトキシンとは、土壌菌の一種であるアスペルギルス属(真菌)が生産するカビ毒で、毒性を有するものとしてはB1, B2, G1, G2, M1, M2の6種類が知られています。中でもアフラトキシンB1は天然毒の中において肝臓ガンを引き起こす最も強い発がん物質とされ、ダイオキシンよりも強力と言われています(急性毒性はダイオキシンの方が強い)
慢性毒性と言っても特性は様々ですが、例えばビタミンEを長期間過剰に摂取したことによる代謝障害であれば発症に至るまでにある程度の閾値が存在しますし、途中で摂取を控える事により、症状を起こさずに済みます。
それに対し、発がん性というのは発症の確立が増えると言う事であり、僅かな量であっても発症する可能性は否定できません。前述した用量反応曲線で言えば無毒性量が0の『閾値なし用量反応曲線』にあたるとも言えます。
ですから通常、発がん性や変異原性、催奇形性といった毒性のある物質については、他のものよりも基準を厳しくする傾向にあります。
アフラトキシンを生産するカビは日本にはいないとされ、食品衛生法の基準では全ての食品に対してアフラトキシンB1は検出されない事になっています(厚生労働省の定める分析法により、10μg/kg=10ppbを超えたものを陽性と判断)。
三笠フーズの汚染米では20ppb(ベトナム産うるち米)と50ppb(中国産うるち米)のアフラトキシンが検出されたとの事で、このリスクをどう捉えるかというと、微妙です。
アフラトキシンにはPTDI等が設定されていないのでリスクの基準が定かではありません。そこで、この汚染米を食べた時と食べなかった時のアフラトキシンの摂取量の違いでリスクを計ってみます。
農水省のデータによると、日本人の平均的なアフラトキシンB1の推定暴露量はおよそ「2ng/kg/day」=0.002μg/kg/dayとされていますので、体重50kgであれば0.1μg/dayとなります。
http://www.maff.go.jp/j/syouan/seisaku/risk_analysis/priority/pdf/chem_aflatox.pdf濃度50ppbの汚染米185g(日本人の平均一日米消費量)には185g×50÷1000000000=0.00000925g=9.25μgのアフラトキシンが含まれていると言う事になりますから、体重50kgの人が一日に185gの汚染米を食べると、9.35μg、つまり通常の93.5倍のアフラトキシンを摂取することになります。
93.5倍というと結構な量ですが、単にこれだけではリスクを評価できません。元となる平均的な暴露量において、どれだけの健康被害が起きるのかが分らなければ評価できないのです。平均的なリスクが限りなく低かった場合、100倍どころか1000倍でも問題は起きないでしょうし、平均的なリスクが許容できるレベルをわずかに下回る程度であれば明らかにリスクが高くなります。
先程の資料によると、日本国内でアフラトキシンB1を摂取する事によって肝臓ガンを発症する確率は、「1ng/kg/day」の暴露量で1000万人に1人(B型肝炎保持者の場合はその30倍)とされています。推定暴露量がおよそ「2ng/kg/day」ですから、ベースとなるリスクは1000万人に2人、体重50kgの人が185gの汚染米を毎日食べたとして発症する確立を単純に倍数すると1000万人に187人(10万人に1.87人)となります。
この10万人に1.87人というリスクをどう評価するかですが、『10-5のオーダー(1年で10万人に1人が死亡するリスク)は社会的に許容される』とすれば、極めて深刻とまでは言えないものの明らかにリスクは増したと言えます。
ただし、先程の計算は『体重50kgの人が最も発がん性の高いアフラトキシンB1のみを50ppb含む汚染米を毎日185g食べ続けた場合』という厳しい条件でおこなっていますので、実際のリスクはこれよりも遥かに低くなります。
どの程度低くなるか、についてはこの汚染米がどの位の量が出回り、それを何人で消費したのかが分らないと計算できませんが、国民全体で言えばほぼ無視できる程度、給食や煎餅、焼酎などの加工品を食べてしまった場合でも『洗浄、加工である程度含有率が下がる』『汚染米を継続して食べている可能性は低い』ことから、単純に先程の条件の100分の1とすると、
汚染米によるアフラトキシン摂取量=9.25μg÷100=0.0925μg
アフラトキシンの総摂取量=0.1μg+0.0925μg=0.1925μgとなり、『1年で10万人に0.0385人が肝臓ガンになる程度のリスク』、となります(もちろん、保証はしません)。
摂取量が倍になれば発症の確立が倍以上になる可能性は否めませんし、PTWIやPTMIが設定されていない以上、比較的短期間に摂取した際の影響も分りませんので、現時点で明確なリスク評価は出来ないとおもいます。
それでもこの汚染米による健康被害についての一応の結論としては、
- メタミドホスによるリスクは無視できるレベル。
- アフラトキシンによる健康被害が起こるとは思えないが、リスクは完全に無視できるとは言えない。
となるのではないでしょうか。
もっと分かりやすい言葉で言えば、『メタミドホスについては全く心配しなくても良いけど、アフラトキシンについてはちょっと不安が残るから、すでに食べてしまったものについては心配しても仕方ないが、今後は積極的に避けた方が良い』ということです。
※B型肝炎保有者のリスク(30倍)を評価すれば、1年で10万人に1.155人となりますから、条件をもう少し厳しく(1/100⇒1/50など)するとそれなりのリスクが生じます。
* * * * *
なお、「食品添加物をとると癌になる」という話がありますが、これはデマと言っても良いもので、発がん性や催奇形性の疑いがある物質は食品添加物や農薬などに使用できません。たとえ現在使用を許可されている物でもそれらの疑いが見つかればすぐさま禁止されます(アカネ色素など)。
以前は市販されている農薬を使わずに木酢液や竹酢液を薄めて殺虫剤代わりに散布するようなこともありましたが、農薬がネガティブリスト制度(禁止されたものを使用すれば違反)からポジティブリスト制度(許可されたもの以外を使用すれば違反)に変わった現在、それらを農薬として使用するのは違反となります。
また、木酢液、竹酢液、どちらにも発がん性の物質が含まれていますので、今後も農薬として許可されることは無いでしょう。
天然物質、化学物質
天然に存在する物質も化学的に合成された物質もどちらも化学物質であり、同じ化学構造のものであれば性状も同じです(※)。『天然物質だから安全』というのは幻想にすぎず、ましてや『天然物質が原料だから安心』というのは何の根拠もありません。
安全とか安心とかは物質そのものの性状と係わり方によってのみ語られる、ということです。
※同じ化学式のものであっても右手と左手のように鏡映しのような構造をもつものを『鏡像異性体』(立体異性体、光学異性体)と言い、D-体、L-体として区別することがあります。
化学的特性は全く同じで物理的特性が『「D-体」の水溶液に偏光をあてると偏光面が右に回転し、「L-体」では左に回転する』ということで区別しますが、生理的には異なる作用をもたらします。
代表的なものとしては旨み調味料で有名なL-グルタミン酸ナトリウムがありますが、D-体では旨みを感じないとされています。
アミノ酸や糖など殆どの有機物が鏡像異性体をもち、通常、自然界にはどちらか一方が偏って存在しています。地球上最強の毒物といわれているボツリヌス毒素(トキシン)はボツリヌス菌が生産する天然物質であり、精製された複合体のLD50は0.00003〜0.00005μg/kg(推定)とされます。これは、地球の人口を60億、一人当たりの体重を50kgとした場合、計算上300gあれば人類を死滅させるだけの毒性があるということになります。
人間が作り出した最強の毒物といわれるVXガスのLD50が0.02mg/kg(20μg/kg)とされていますから、桁が違うどころの話ではありませんね。
経口、吸入、びらん性、および経皮毒
毒というのは対象となる臓器に届かなければ毒性を発揮できません。 毒物の体内への侵入経路はいくつかありますが、侵入経路によって毒の効き方が変わってきます。毒性試験においては、経口、皮下注射、静脈内注射、腹腔内注射等の投与の仕方があり、大抵の場合LD50等の値が違ってきます。
日常生活においては静脈経路などによる毒物の侵入は蛇に噛まれたり、虫に刺されたり、傷を負った場合等を除けばそうあることではありません。経口、吸入が一般的となります。
経口であれば消化器官で胃酸等の影響を受け、更に吸収されたものは肝臓で分解(解毒)された後に残りが血液で運ばれますので、通常、毒性試験においては他の投与よりも毒の影響を受けにくくなります。
吸入は肺から吸収されて血液へ侵入するもので、毒ガスや煙、大気中の微粒子などがあります。消化器官の影響を受けないので通常は経口よりも毒性は強くなります。
アスベストなどは化学的毒性は殆ど無く、微量ながら地下水や水道水にも含まれ経口摂取では無害と言えますが、その物理的特性により肺ガンなどの細胞毒性を示します。
毒ガスの中には皮膚を侵して体内に侵入してくるものもあり、これを『びらん性』毒ガスと呼んでいます。
塩酸や水酸化ナトリウムのように皮膚を侵すものは皮膚腐食性とか刺激性を有するなどと言われます。
* * * * *
こうしたもの以外に皮膚から吸収される毒物を『経皮毒』と呼んでいる場合もあるようですが、学術的ではありません。
一見分り難いのですが、前述のものは毒物の侵入経路であったり、皮膚腐食などの作用・性質を示すものであるのに対し、『経皮毒』は「皮膚を通じて体内にたまる『毒』」を指している(らしい)のが根本的な違いになります。
なお、『経皮毒性』と言う言葉はありますが、これは「経皮毒性試験」などのように用いられ、経皮毒とは別物です。
毒の分類には便宜上、『神経毒』や『出血毒』、『細胞毒』などの作用による分類、『植物毒』、『動物毒』、『鉱物毒』のように毒物の起源による分類などがありますが、『経皮毒』のような侵入経路によって分類される事はありません。侵入経路が問題となるのは『経口毒性』『経皮毒性』のような作用の違いによる場合です。
いかにも学術的な雰囲気を匂わせて、その実、似非科学と言っても過言でも無い辺りがマイナスイオン問題と酷似しています(マイナスイオンも経皮毒も定義があいまい)。
経皮毒として槍玉にあがっているものには化粧品に保湿剤、乳化剤として使われているプロピレングリコール、洗剤の成分である合成界面活性剤のラウリル硫酸ナトリウムなどがあります。
「皮膚組織を破壊して体内に侵入し、体内(子宮)に蓄積して害をなす」、とまことしやかにささやかれているらしいですが、話をよく聞いてみると「化学合成されたものは危険だから、安全な天然由来のものを使いましょう」、という主張のようです。これは例えると「外人は犯罪を犯す。日本人は犯罪を犯さない」と言っているようなものですね。
安全だとか、危険だとかは物質そのものの性状と係わり方によって決まり、化学合成されたものだからとか天然由来のものだからとかは全く別の問題です。
先程の例えに倣うなら「犯罪を犯すかどうかは個人の問題であって、人種や出身とは直接的な係わり合いはない」ということになるでしょう。
さて、上記の化学物質が皮膚から侵入するということであれば、これらに限らず乳化作用をもつもの、例えば天然油脂由来の純石鹸の成分であるグリセリンエステルのナトリウム塩などにおいてもメカニズムは同じですから少なからず同様の作用をもたらすはずです。
皮膚は上から順に、厚さ 0.2mm 程の表皮、2mm 程の真皮、皮下組織という3層で成り立っています。表皮は角質層、顆粒層、有棘層、基底層に分けられ、一番上の角質層は死んだ細胞の角質細胞とその隙間を埋める細胞間脂質によって十数層の層構造をしており、外部から生体をまもる高いバリア性を持っています。
『角質細胞』はケラチンや繊維状タンパク質で形成され、強靭な物理的特性をもっています。その隙間を埋める『細胞間脂質』は、セラミドを主とした疎水基と親水基を備える脂質が交互に整然と並ぶ事によって『脂質二重層』という構造をとっています(下図)
脂質二重層は細胞膜を形成する基本構造の一つですが、その化学的特性から
- 疎水性部分は親水性の分子をほとんど通さない
- 小型の非極性分子(O2、CO2、N2、ベンゼン)は透過しやすい
- 電荷を持たない極性分子の場合、小型のもの(水、グリセロール、エタノール)のみ透過でき、大型のもの(アミノ酸、グルコース、ヌクレオチド)は透過し難い
- イオン類や電荷を持つ分子は大きさに関わらず透過できない(H+、Na+、HCO3-、K+、Ca2+、Cl-、Mg2+)
と、されています。
経皮毒とよばれているものが臓器で毒性を発揮する為にはまずこの角質層を通過して真皮にまで達しなければならないわけですが、プロピレングリコールはまだしも、ラウリル硫酸ナトリウムは分子の大きさから考えて容易に通過するとは考えられません。プロピレングリコールにしても脂質二重層と馴染む(保湿効果)のが関の山で、真皮に達するのは極めて僅かでしょう。
「表皮ではなく毛穴や汗腺から侵入する」、という主張もあるようです。確かに表皮そのものにくらべ毛穴や汗腺の内部は薄く出来ていますが、常に皮脂が分泌されていますので、油を満たした細い注射針を洗剤液の中にただ漬け込んでおいただけでは綺麗にならないように構造的に侵入し難いですし、侵入するにしても表皮に対する比率から言って極微々たる量です。
もっとも、ラウリル硫酸ナトリウムだけで毛穴の汚れが簡単に取れるのならば、スクラブ入り洗顔剤は必要ありませんね。そもそも、塗り薬やシップ剤などの皮膚を通して薬効を働かせる為に経皮吸収性を高めたものですら、簡単には表皮を通過しません。
従って、まず第一に「皮膚を通して体内に入るプロピレングリコールやラウリル硫酸ナトリウムは極めて微量である」と言えます。
次に毒性についてですが、長時間高濃度の界面活性剤を表皮につけておけば確かに角質層は破壊されます。end pointを皮膚に対する攻撃性の類に設定するのであれば、純石鹸より強い界面活性作用を持つラウリル硫酸ナトリウムの方が害があるとは言えます。しかし、同じ効果を得るために必要とする量が違いますから実際の使用においては単純に比較出来ません。
人間の皮膚は弱酸性の皮脂で覆われ、異物や細菌などの活性を無害化したり、角質層と共に極度の乾燥を防いでいます。界面活性作用のあるもので繰り返しこの皮脂を過度に取り除けば皮膚に異常を来たすのは当たり前の事です。むしろ弱アルカリ性の石鹸の方が中性〜弱酸性のものより皮膚に対する攻撃性が高いという考え方もあります。世の中の毒物とされているものの多くが酸性ではなくアルカリ性であることを考察するのも面白いかも知れません。
もちろん、アレルギーのように体質によって合う合わないがあるのは当然ですが、石鹸だろうといわゆる合成洗剤だろうと界面活性作用のメカニズムは同じですから、強弱の差はあれ、これらを一般的に『毒性』と呼んでいいものか疑問に思います。 もっとも、『経皮毒』は体内に蓄積して健康被害を起こすと言う事ですから、end pointの設定が違ってきます。
経皮毒の危険性を訴えている主張の一つが、「経皮毒は皮膚から侵入する事で代謝されることなく蓄積する。従って、口から入るよりも問題である」ということのようですから、これについても考えてみます。
まず、『経皮毒』と言われるものが皮膚組織から体内に侵入したとして、それが代謝されずに蓄積されるというのも納得のいく話ではありません。仮に頭皮から子宮などの臓器まで移動するということであるなら細胞間の拡散ではなく循環器系で運ばれるわけですから、肝臓での解毒作用も腎臓での排出作用も受けますし、何より必ず免疫系が働きます。
毒性については「合成洗剤は毒性が高いけど、純石鹸の成分は毒性が低いから体内に入っても安心」という向きもあるようですが、ラウリル硫酸ナトリウムの経口毒性は石鹸より高いものの、少量を誤飲したくらいでは問題が起こらない程度の安全性があります。プロピレングリコールに至っては食品添加物としても利用されており、毒物どころか劇物にすらあたりません。
従って、毒性そのものを考慮にいれたとしても、皮膚(頭皮)についたプロピレングリコールやラウリル硫酸ナトリウムごときで健康被害が起こるのは考え難い、と言う事になります。
繰り返しになりますが、「石油由来の成分だから危険」というのは何の根拠もありません。大体にして商売の為にいかにも他社の製品に毒性があるかのように謳っているのが殆どではないでしょうか。
アレルギーを別とすれば、毒というのは極めて少数の例外を除き効果量で必ず効きます。慢性毒性においても統計的に有意差が出ます。経皮毒については科学的に耐えうる検証も無く、あまりにも例外が多すぎる(むしろ例外が大多数)ということです。
本来、経皮毒に関してはまともな科学者や医者なら一笑に付すような事柄ですが、逆に、まともな科学者や医者ほど完全に否定することもありません。これは『悪魔の存在証明問題』とも言われる立証責任のためです。
悪魔が存在するか否かを議論した際、完全に否定するのは非常に困難です。なぜなら、ありとあらゆる事象を取り上げて論理的に否定しなければならないわけで、事実上不可能と言っても良いでしょう。
それに対し肯定する方は悪魔が存在する科学的に耐えうる『証拠』をたった一つでも示せば良いわけです。
ですから、『有るか無いか』という問題を取り上げる際は、通常『ある』と主張する側に立証責任があるのですが、一方で100%の否定が難しい以上、有り得ないことと思っていても断定を避ける傾向があるわけです。
このあたりのニュアンスが、インターネット上に溢れる情報を信用に足りるか否かで分別する際の一つの目安になると思います。
プラシーボ(偽薬)、二重盲検試験
ある新薬を開発した際、最終的にその効果を確かめる為に二重盲検という臨床実験が行われることがあります。被験者を2つのグループに分け、片方には新薬を、もう片方には対照となる薬効のない偽薬を投与し、新薬が本当に有効であるかどうかデータを得るものです。
『病は気から』と言う言葉があるように人間とは面白いもので、『これは良く効く薬ですよ』と言われれば、それがたとえ片栗粉であっても効果が出る事があり、これをプラシーボ(偽薬)効果と呼んでいます。そうした影響が出ないよう、被験者にどちらが本物であるか知らせないのは当然として、より客観的な事実を得る為、投与し検査する医師にもどちらが本物であるか知らせない事から二重盲検と言います。なお通常の動物実験ではここまでする必要はなく、単に対照実験となります。
プラシーボ効果は薬に限らず、例えば自動車の燃費向上グッズなどでも起こります。現在の内燃機関というのは相当に高い完成度を持ち、エンジン単体での燃費向上に劇的な効果は期待できません。わずか数%の向上を果たす為に自動車メーカーが多大な労力を掛けているのに、ちょっと取り付けただけで10〜30%も燃費が向上することなど、まともに考えればありえないことです。
燃費の変化には様々な因子があり、特に運転の仕方で大きく変わってきます。人間は望むべく効果を得ようと無意識に行動しがちですので、そうした影響を取り除いて初めて本当に効果があるのかないのかが分るということです。
薬も毒も効果の面では確実なものであり、致死量の毒物を『これは大変高価で良く効く薬ですよ』と与えても必ず死に至るということで、ここにプラシーボ効果の入り込む余地はありません。
状況の違い
今ここに100gのVXガスとそれより桁違いに毒性の強いボツリヌストキシンが100gあったと仮定します。ある程度の気密性がある建造物(例えば体育館など)に人を集め、その中にこれらの毒物を放り投げた場合、中にいる人はどうなるでしょうか?
建物の規模にもよりますが、恐らくVXガスを放り込んだ場合は殆どが死亡あるいは重度の症状を起こすのに対し、ボツリヌストキシンを放り込んだ方は、上手くいけば一人も死なずに済むでしょう。
これはVXガスが文字通りガス状の物質であり、肺、あるいは皮膚から侵入して毒性を発揮するのに対し、非常に重い分子であるボツリヌストキシンはただ床に撒かれているだけでは体内に侵入する事が無いためです。
では、次に、ボツリヌストキシンが0.0001μg、それより遥かに毒性が低い青酸カリが1gあったとして、体重50kgの人がこれを経口摂取した場合どうなるでしょうか?
ボツリヌストキシンのLD50を0.00005μg/kgとした場合、体重50kgの半数致死量は0.0025μg、青酸カリのLD50は10mg/kgですから同様に500mgとなりますので、ボツリヌストキシンの方は何らかの症状が出ても死に至る事は無く、青酸カリの方はほぼ確実に死に至ることになります。このようにして書けば実に当たり前のことで「それが何?」となるのですが、実生活においては意外と印象(?)にだまされる事が多いのです。
おそらく現在最もまかり通っている嘘の一つが、『煙草の副流煙には主流煙の何倍もの毒物が含まれている(A)。従って、煙草を吸う人よりも周りの人間の方が悪影響を受ける(B)』というものです。
燃焼温度の違いによる発生量の違いもありますが、フィルターを通す主流煙に対し、副流煙の方が毒性が強いと言うのはほぼ事実です。しかし、副流煙の吸入の仕方が主流煙とは全く異なりますので毒性についてもそのまま当て嵌めるわけには行きません。副流煙を余さず吸入するなら上記の通りでしょうが、常識的に考えて空間に漂っている副流煙を吸入するわけですから、その量は発生した副流煙の極々一部です。
また、当然ながら煙草を吸っている人も同じ室内にいる限り同様に副流煙を吸入する事になりますから、どのように考えても煙草を吸っている人の方が健康被害は大きいです。
つまり、『Aのパートは真実であるけれども、それからBのパートは導き出されない』ということです。
ちなみに、似非科学の理論やオカルト商品の謳い文句は大抵がこのパターンです。さしずめ、『似非科学の論法』とでも名付けましょうか。ただし、ものによっては前提となるAすら真実ではない事が多いので注意が必要です。
なお、煙草の毒性について過剰とも思える批判がありますが、仮に副流煙を少量吸い込んだだけで健康を害するほど強いものであるのなら、地球の人口は10分の1になっていても不思議ではありません。そうならないところを見ると比較的長期間の暴露によって症状を呈する程度のものと見るのが妥当だと思います。
煙草(に限らず全ての煙)が健康を害する事に異論の余地はありませんが、密閉された部屋で長期間煙に暴露されるような状況を除き、ことさら煙草の副流煙の害を騒ぎ立てるのはナンセンスです。無論、非喫煙者にとって煙草の煙が迷惑であることには変わりありませんし、喫煙のリスクは無視できるほど小さくありません(※)
毒にしても薬にしてもその性質と共に、どの程度の期間、どのように摂取するのか、によって影響が変わってくるということになります。
※健康寿命の増大に従い、相対的なリスクは今後益々増えていくと考えられます。
安全・安心の為の毒性学
最近(というよりも以前からですが)、マスコミの報道においては、事実を淡々と伝えるのでは無く視聴者の危機感を煽るようなものが目立つように思います。一方でダイオキシン(※)や環境ホルモン(※)のように日常生活において事実上の影響が無かった事がほぼ明らかになっても、そうした事がセンセーショナルに報道がされたことはありません。
※ダイオキシンは1970年代以前の発生における残留が殆どであり、焼却炉等からの発生は全くと言って良いほど影響の無いレベルで、環境に存在する量は年々低下している*2
環境ホルモン(内分泌撹乱物質。ダイオキシン類も含まれる)においては疑いのあるとされた物質の殆どが影響のないものであり、一部が極めて弱い作用を持ち、また一部が特定の魚介類に対して影響が認められた。
ビスフェノールA(BPA)については低用量作用(逆U字効果)があるのではないかという情報があり、日本においては再度検証中ながら、欧州食品安全局の評価では無しと結論された。このような話はマスコミに限りません。
「マスター、私が今まで使っていた○○は身体に悪いから、代わりに△△を使えってあるサイトに書いてあったんですけど・・・。どうしたらいいですか?」というような、やはり消費者の危機感を煽った商売が増えています。
「『わらにも縋る』という言葉もあるし、たとえ騙されても、プラシーボでも効果があればいいと思うなら試してみれば?」と返事をすると、ほぼ確実に「・・・騙されるのはイヤです!!」と返答がありますので、一般の方も大方同じ思いではないでしょうか。
『毒性学』と言うほど大げさなものではありませんが、多少なりとも知識があればそうした事柄に振り回されずに済むと思います。知識と言いましたが、むしろリテラシーと言った方が良く、つまりは考え方になります。
さすがに「○○の毒性はうんたらかんたら・・・」といった仔細は専門家でもなければ記憶しているはずもありません。私にしてもデータを一々覚えてはいません。むしろ知らないことの方が圧倒的に多いです。
しかし、今やわざわざ図書館に出向かなくてもインターネットで簡単に調べ物ができますし、毒性についても検索を掛ければいともたやすく情報が手に入ります。そうして手に入れた嘘と誠が入り混じった情報をどのように吟味し、活用するか、その方法論=考え方が大事ということです。
情報は活用しなければ役に立ちません。また、個人が多種多様な状況に対処できる情報を全て持ち合わせるのは不可能と言えます。しかし、メソッドであるならば幅広く応用を効かせられますから、最小限の情報からでもある程度の正確さを持って推論することができると思います。
安全、安心に関しては、どの程度のリスクがあり、そのリスクを許容できるのか出来ないのか。その辺りを自分である判断できるようになればいたずらに情報に振り回されることなく、もう少し穏やかな日常を過ごせるのではないかと思います。
(いやいや、激流にもまれるが如く右往左往する人生が良い、というなら別ですが(^-^; )
ということで、あまりにも大雑把ではありましたが、『安全・安心の為の毒性学』、いかがでしたでしょうか?
最終更新日:2010/02/07(日) 00:47:31
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